死を横目で観ながら、今ここで、大好きな人たちと人生を創る。
生まれた時から、
死ぬことは決まってる。
まあ100年生きられたら上等で、
早い遅いの違いはあっても、
必ず誰もが平等に死んでいく。
父が亡くなって荼毘に付すとき、
地域の火葬場では、
たくさんの家族や親類たちが、
自分の親族が焼けるのを待っていた。
「〇○番さん、焼けました」
的な放送で、ゾロゾロと骨を拾いに行く。
短い時間で後が詰まっていて、
オートメーションのように機械的に、
後から後から火葬しないと間に合わない。
季節によっては混み混みで、
火葬を数日待たされたりもする。
そして、お友だちの
出産祝いに産院に行けば、
幾人もの新生児が横たわって、
眠ったり、かすかに動いたりしている。
そう毎日毎日、
わらわらと人は生まれ死んでいく。
インドではその勢いとスピードが、
もっともっと強いように感じた。
小学3年の時に思ってた
「生理」みたいだなって思う。
いつかは自分にも来るだろう。
でも、いつ来るかわからない。
嬉し恥ずかし、少し怖いような。
(死ぬのが嬉しいというのはおかしい?
でも知らないことを体験するのは
少し楽しみじゃないかな、不謹慎だけど)
お葬式は結婚式とも似ている。
いつもは日常に埋没している
自分の一世一代の晴れ舞台。
その日はドラマの主人公。
でも、私は家族だけで終えてほしいかな。
こんな風に考えるようになったのは、
輪廻転生が肚落ちしてからだと思う。
宇宙視点で俯瞰すれば、
魂にとっては、死は通過点。
だから、今回体験でできることを
楽しみながら、懸命にやるだけだ。
とはいえ、
夫や子どもどころか、
猫たちが死んだって、
数年は泣いて暮らすんだと思う。
死ぬのはアタリマエで、
魂にとっては通過点という宇宙視点と、
ここで日々、
生まれ味わう感情というのは、
まったく別のところにある。
それでOK。にんげんだもの。笑
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私たちはいつも目の前のことに
右往左往したり、
身体をダメにするほど
感情をかき乱されて泣き叫ぶ。
でも、それは
この世に居る間しか味わえない、最高の娯楽ともいえる。
身体を持ち感情を持つから、この生が彩られる。
間違いや失敗の体験が、進化向上をもたらす。
宇宙視点では、失敗というものはない。
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クリスタルボウルを教えてくれた
りえちゃんが、私が以前、
「でもさー最悪死ぬだけじゃん」と
言ったことを覚えていてくれて、
ブログに書いてくださった。
そう、約あと半分残すのみ、。
怖がっていたら、あっという間に終わってしまう。
サロンを開こうと思ったとき
宇宙視点での確信や必然とは別のところに、
アタリマエに不安はあって、
じゃあ自分は
「なにが怖いんだろう?」って
突き詰めて深堀したら、
やっぱり究極は「死ぬこと」だった。
人にどう思われるか、、という
「受け入れられないことの恐怖」は、
まわりに受け入れられなければ、
死に直結してしまう、
小さな存在だったころのサバイバルゲームの記憶。
怒られないように、
気にいられるように。
負けないように、
勝たないように。
目をかけられるように、
いや、目立たぬように。
そこでどうにか、生き延びられるような、振る舞いを覚える。
失敗したら、
軽蔑されたら、、、
・・これらも
愛の欠乏への恐怖、突き詰めると死への恐怖。
ぜんぶ、そこへつながっている。
で、思った。
え?
絶対死ぬのに、
それが怖いからしない、
って
おかしくないですか?
それが、
「最悪死ぬだけじゃん」という、言葉になったのです。
なにが怖くても、
なにが不安でも、
結局は死ぬ。
最後は死ぬ。
死ぬだけじゃん。
失敗しても死ぬ。
成功しても死ぬ。
楽しくても死ぬ。
悲しくても死ぬ。
絶対、死ぬ。
なにもしなくても、
いろいろしても、どっちみち死ぬ。
そう、
結局最悪、
最後は死ぬだけ。
それだけじゃん。爆
なら、
怖がらずに、
体験をいっぱいしようよ。
大丈夫、
どうなっても、最後は死ぬだけだから。
笑っても泣いても、この生では、一回。
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太陽が魚座の季節は、
死が一番身近に
感じられるときかもしれない。
春分までは、浄化の時期です。
次の新しいスタートへ向けて、
今までに体験したこと、
当たり前と思っていたことを
洗いだしてゼロにする。
小さなころの
「生き残りのための恐怖」を元に、
自動操縦となっている感情や行動があるなら、
それが自分を縛っているなら、解放する。
赦して流す。意識して止める。
自己憐憫が強いと、
誰かへの仕返しのつもりで、
それを続ける(潜在意識下ですよ)人もいる。
それは、甘美で楽かもしれないが、
有限である時間と膨大な可能性を
自分の意志で捨てていることを忘れないで。
自分の損得を一番に考えてみようよ。
動ける時間は、そう長くない。
次のスタートに、
その考えは要るだろうか。
重すぎる無駄な装備は
(思いこみ・不安・要らない感情)
置いて行かないと、遠くまで歩けない。
座り込んで一生を終えるのも
エレガントで悪くない好みかもしれない。
やっぱり1回だけなら、
いろいろやってみたいと考えるのは、
がっついているかしらね?
覚悟を決めて、
自分の人生の創造主となったとき、
宇宙根源の創造力と繋がり、
高次元からのサポートも、必ず入ります。
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そう、
死は誰にもやってくる。
ある日、
突然来るかもしれない。
3.11。
あの日私たちは
ほんとうに大切なものに気づかされた。
たくさんのことを学ばされた。
気づかせてくれた、
たくさんの魂たちに心から感謝して、
クリスタルボウルを奏でてきます!